はちわれ猫と(ノン?)アルコール
2024年10月25日
友人と会う機会に、アルコールはついて回りがちだ。
だが今回は違った。
母から夕飯の買い物を頼まれ、外へ繰り出したタイミング。
友人Nから「仕事がやばかったので出来たら会いたい(意訳)」と連絡が来る。
Nには行きつけの保護猫カフェがあり、今日はそこの猫が一匹、里親が見つかった為に卒業する日であると私は知っていた。
最後だから絶対会いに行くのだと息巻いていたのも知っていた。
だのにNは仕事をしている……大いに同情の余地があった。
そして「夕飯の買い物をほっぽり出してもいい」と、まさかの母から許しが出、私はNと夜の猫カフェを訪れる。
遅くまでやってるんだね。それも21時まで。
ご覧、はちわれの猫である(ハチワレと書くと、小さくて可愛い、人語を話す方のキャラクターが浮かんでしまう)。
私は高校生の頃に高槻(※大阪)の保護猫カフェでも、黒髪を左右に分けたような、はちわれの保護猫にこれでもかというほど猫じゃらしで遊ばせて貰った恩があった。
「帰らないで!」と足に縋りつかれ泣かれた(鳴かれた)のは、後にも先にもない。
無論人間からも、そのような別れの惜しまれ方をされたことがない。
今、何を言わされたのだろう。
加えて何の因果か、その時の猫も写真の猫も「伊達政宗を思わせる名前の老猫」であった。
また、里親が見つかり卒業する猫とは勿論この猫ではなく、活発で俊敏な子猫である。
——思わず「勿論」と付けたことに酷く罪悪感を覚える。
でも老猫は子猫より貰われにくいのは事実だ。
保護猫の生にとって里親に恵まれることだけが幸せとも思わないにしたって。
写真の猫の場合は人の膝が本当に好きだそうで、直前まで乗っかっていた客が退店するや否や、ちょうど座っていた私の膝へ瞬く間にやってきた。
その背中は、骨の上に洗いざらした毛布を被せたような塩梅の触り心地だった。
くたびれた温かさが堪らなかった。
21時がきてしまい、そっと膝立ちになって滑り落とさせてもらったものの、すかさずふくらはぎに乗られる始末。
「行くな……」と無言で強引に引き止められたのは、後にも先にもこれが初めてになった。
でも帰らないと。
なお、徒歩で来たので終電の心配はない。
Nは自転車で来ていた。
晩飯をファミレスで済ませることになる。
ファミレスに向かうにつれて膝の温かさが消えていく。
Nの心労も消えていたなら、いい。
最後に、「たまにはアルコール抜きで会うのもいいよね」そんなセリフでこの話は締めくくられるべきだった。
カメラロールを見返す。
そこには何故かサングリアがチラッと一杯だけ写っていた。
その写真は載せないことにする。
M.H